法事の必要性について、宗教的信仰から必要だと思う人と合理的に不要だと考える人がいる。
慣習的な法事への参加を強制されるのが問題だが、多様性を理解してもらい不参加の理解を得るのは難しい。
状況に応じて、労力をかけて参加するか、仕事や病気などの適切な理由で不参加にするかを選ぶのが賢明だ。
法事をやる必要性はない
法事が必要か必要じゃないかという問いに対する答えとしては「必要ではない」となります。
法律や条例で定められているわけではありませんので、法事をしなくても何も問題はありません。
法要を行うのは個人的な信仰しだい
あくまでも仏教を信仰している人で、法事を必要と思っている人がやるものです。
そして昔であれば檀家制度により、家系単位で信仰していたのですが、現代において特定の宗教や寺を信仰するかどうかは個人の問題です。
必要無いと思っている人の立場からすれば、日本にある様々な慣習と同じように「やりたい人はご自由にどうぞ」です。
- バレンタイン
- お盆
- ハロウィン
- クリスマス
- 初詣
全部、必要ではないけど「やりたい人はご自由に」です。
法事をすることが当然だと考える人にとっては必要なものですが、そういった信仰がない人にとっては必要がないものです。
つまりは、個人の信仰しだいで、明確なルールや理屈・合理性などで必要か不必要かを語れるものではありません。
法事への参加を他人に強制してしまうのが問題
法事はやるべきだと考える人にとっては、法事はやって当然な儀礼です。
私も親族の法事があったときに、母にたずねてみた経験があります。
私:それ、参加しなくちゃだめ?
母:当たり前でしょ
私:・・・
法事が必要といえる理由などはなく、やるのが当たり前だからやる。それだけです。
そして、法事のような儀式をやるのが当然だと考える人が、自由に法事をやるならだれも文句は言いません。
しかし、このような法事必要派の人達からすると、周囲の人間も参加して当たり前という考えになります。
そのため、法事不要派にとっては「よくわからない慣習に無理やり時間を奪われる」という感情になります。
法事必要派の人たちも、悪気があって参加を強制しているわけではなく、参加するのが当然の習わしだと考えている部分がなんとも面倒です。
法事への参加・不参加の選択肢
法要は必要無いのではないか?と考える人が法事への参加を求められた場合にとる選択肢は2つ。
- 黙って参加する
- 参加しない
必要ないものに参加したくないのは理解出来ますが、この場合は法要必要派の理解を得るための根回しなのが大変なので、場合によっては我慢して参加してしまった方が楽なこともあります。
自分にとって1番負担の少ない方法を選択するのが良いでしょう。
黙って法事に参加して済ませる
我慢して黙って参加してしまう選択。
法要自体はお寺やお墓で読経を上げてもらうだけですので、1~2時間程度で終わります。
その後に会食などがあってもプラス1時間程度かと。
変に色々説明して、不参加を納得してもらうよりも、黙って参加してしまった方が楽な場合も多いでしょう。
遠方からの移動時間などがかかる場合はこの限りではありませんが。
自分が必要ないと思っていることに時間を奪われるのは納得がいかないこともありますが、仕方ありません。
法要に参加しない
何としても法事へは不参加としたいという場合。
3パターンが考えられます。
- 法事不要派の考えを納得してもらえないまま不参加
- 法事不要派の考えを説明・納得してもらい不参加
- 法事必要派の人が納得する不参加の理由をつくる(おすすめ)
理解を得られないまま不参加だと不義理だと思われる
法事に参加しないことを理解してもらえない状態で、とりあえず参加しないことにすると後々何を言われるかわかりません。
- 不義理
- 非常識 など
法事不要派からすれば、生前お世話になった人への義理や感謝と、法事に参加するかどうかは全く関係がないことです。
しかし、法事必要派の人から「お世話になったのになぜ不参加なのか」という見方をされかねません。
故人への思いと法事がどうこうは紐付かないのですが、法事必要派の人はそういう考えの違いを理解してくれませんので、一方的な不参加は避けた方がトラブルがないでしょう。
法事不要派の考えを理解してもらうのはかなり難しい
法事必要派に説明して、参加しないことを理解してもらえれば一番いいです。
しかし、そもそも法事を理由があっておこなっている人達ではありませんので、理屈で説明してもらうのはなかなか骨が折れるでしょう。
法事必要派としては慣習として行っているので「法事を必要としない理由」を説明しても理解されないと思います。
もし説明するのであれば、世の中の多様性から語ることになります。
と、このように説明をするのも面倒ですし、説明したところで納得してもらえる可能性は少ないでしょう。
「それは海外の話で、あなたは日本人だから法事はやるべきだ」と言われておしまいな気がします。
古くからの慣習を大事にする人(特に地方の人や高齢者)は、世の中の多様性を知らないか、理解しないタイプの人間が多いです。
必要だと思っている人は必要かどうかという論理でやっているのでなく、「やるのが当たり前」という慣習として行っています。
つまり、現代において法事はそもそも必要か不要かで語れるものではありません。
ですので、「必要だと思っている人」に対して必要性の有無を説いても無駄ということです。
参加できないという理由をつくるのが簡単
法事必要派に対しては、説明して納得してもらうよりも、参加できなくても仕方がないという理由をつけた方が有効な気がします。
ポイントは、合理的や多様性で物事を考えないタイプの人が納得する理由を用意すること。
一番簡単なのは仕事か病気です。
合理性で考えれば、仕事なんていくらでも調整が効きますし、本当に大切なことなら仕事を休んででも参加できます。
ただ、合理性で考えないタイプの人(田舎の高齢者など)はだいたい「仕事なら仕方ない」です。
もしくはインフルエンザの疑いがあると言っておけば大丈夫でしょう。
嘘をつくことになってしまいますが、これは無用なトラブルを避けて、お互いに損をしないための嘘です。
ちなみに不参加をお詫びする手紙と贈り物をおくると完璧です。
本当は参加したいけどどうしても参加できないという旨を伝えておきましょう。
法事まとめ
法事を不要だと考える人にとっては、法事に参加する労力や時間が無駄だと感じるかもしれません。
ですが、現実問題としては参加不参加どちらもマイナスの面があります。
- 参加すれば労力がかかってマイナス
- 不参加ならそれを理解してもらったり、不参加による人間関係の悪化がマイナス
結局、法事不要派からするとどちらもマイナスなのでゼロにはできません。
どの方法がより損失が少ないか?で考えるのが懸命だと思います。
その中には法事を必要と考える人もいれば、そうでない人もいます。
例えば、あなたが言うように法事が当然必要なものだとすると、キリスト教やイスラム教の人にも法事に参加させることになりますが、実際はそうではありません。
あくまでも仏教を信仰している人の中で、更にその一部の人たちの慣習に過ぎません。
あなたがたまたま人生の中で見てきた周囲の人達の慣習、地域性、時代性で今あなたの中の常識がつくられています。
そのため、法事を行うのは常識などではなく、たまたまあなたが法事が必要だと考えているだけです。
特に現代は檀家制度も崩壊しており、寺院側の慣習に合わせて各種法要を営む人は少なくなっており、信仰は個人の自由です。
世の中には法事を行わないのが当たり前の人も大勢いて、私もその中の1人です。
例えば、あなたはムスリムの慣習に合わせて、礼拝をするように求められてもきっとしませんよね?
それと同じで、私は仏教の慣習に合わせて法事への参加を強制される理由はないのです。