葬式後に塩をまくのはなぜ?身内は不要?使い方・忘れた時・宗派の違いを解説

葬式後に塩をまくのはなぜ

葬儀や通夜に参列した後、「清め塩」を渡されたり、玄関先で塩を使ったりする場面に遭遇することがあります。「なぜ塩をまくのだろう?」「身内の場合も必要なの?」「正しい使い方は?」「もし忘れたらどうすればいい?」「宗派によって違いはある?」など、疑問に思う方も多いのではないでしょうか。

この清め塩の習慣は、神道の「死=穢れ(けがれ)」という考えに基づき、その穢れを祓うための儀式として古くから伝わってきました。しかし、仏教、特に浄土真宗などでは死を穢れとは捉えないため、塩をまかないのが一般的です。

この記事では、葬式後塩をまく理由やその由来身内は使うべきか、具体的な使い方(まき方)、忘れた場合の対処法、そして宗派による考え方の違いについて、分かりやすく解説します。

目次

葬式後の清め塩、身内(家族)は基本的に不要

葬儀や通夜の後に、会葬礼状などと一緒に渡されることがある「清め塩」。これは、外から持ち帰ったとされる穢れ(けがれ)を祓うために使われるものですが、故人の身内(遺族・親族)については、基本的に使う必要がないとされています。

多くの方が疑問に思う「身内は塩を使うのか?」という点について、その理由と、もし使うかどうか迷った場合の考え方を解説します。

なぜ身内は塩を使わないとされるのか

遺族や親族が清め塩を使わない主な理由は、以下の二つの考え方に基づいています。

一つは、清め塩がもともと神道の「死=穢れ」という考えから、外から持ち帰った穢れを家に入れる前に祓うためのものであるためです。故人に最も近い存在である遺族・親族は、すでに穢れの中にいる、あるいは穢れの影響を最も受けていると考えられるため、清めの対象ではない、とされるのです。

もう一つの理由は、遺族・親族は葬儀の主催者側であり、参列してくださった弔問客をお見送りし、もてなす立場にある、という点です。清め塩は、弔問に来てくださった方が使うものであり、主催者側である身内が使うものではない、という考え方です。

これらの理由から、一般的に身内は葬儀後に清め塩を使う必要はないとされています。

迷う場合はどう考える?(故人を敬う気持ちを大切に)

とはいえ、「本当に使わなくて良いのだろうか?」と不安に感じたり、地域の慣習や親戚の考えなどで迷ったりすることもあるかもしれません。

清め塩を使うかどうかは、神道と仏教の死生観の違いや、個人の信仰心によって判断が分かれる部分です。最も大切なのは、形式にとらわれることではなく、故人を悼み、敬う気持ちです。

もし、どうしても「清めないと気持ちが落ち着かない」と感じるのであれば、形式的に塩を使ったとしても、それが間違いということではありません。ご自身の気持ちに従うのが良いでしょう。

ただし、後述するように浄土真宗のように明確に死を穢れと捉えず、清め塩を用いない教えの宗派もあります。ご自身の家が特定の宗派に属している場合は、その教えを尊重することも大切です。

葬式後に塩をまく理由|神道の「穢れ」を祓う考え方

葬儀や通夜から帰宅した際に、玄関先で塩を体にまく習慣があります。この「清め塩」の慣習は、なぜ行われるのでしょうか。その根底には、主に日本の神道における「死」に対する考え方があります。

塩で清める儀式の起源(古事記と塩の浄化力)

神道では、「死」は「穢れ(けがれ)」であると考えられています。これは故人そのものが穢れているという意味ではなく、死という出来事にはネガティブな気(邪気など)が寄り付きやすい、とされるためです。

葬儀に参列することは、この穢れに触れることになると考えられ、その穢れを自宅に持ち込まないために、塩を使って身を清めるという儀式が生まれました。

この「塩で清める」という考え方の起源は古く、日本の神話が記された『古事記』にも見られます。黄泉の国(死者の世界)から戻ったイザナギノミコトが、海水で体を洗い清めて穢れを祓った、という記述がそれにあたります。

また、塩には古来より物を清め、腐敗を防ぐ力があると信じられてきました。この塩が持つ浄化のイメージが、神道の穢れを祓う考えと結びつき、「清め塩」の習慣が根付いたと考えられます。

仏教(特に浄土真宗)では塩をまかない理由(死生観の違い)

一方で、仏教では、死を必ずしも穢れとは捉えません。そのため、仏式の葬儀において、本来は清め塩の儀式は必要ないとされています。

特に浄土真宗という宗派では、「亡くなった人はすぐに阿弥陀如来のおられる極楽浄土へ往き、仏になる(往生即成仏)」と説かれています。死を穢れと捉える考え方自体を明確に否定しており、清め塩は不要であるとはっきりした立場をとっています。むしろ、塩で清める行為は、仏となった故人に対して失礼にあたると考える場合もあります。

このように、仏教、特に浄土真宗では死生観が神道と異なるため、清め塩は用いません。それでも葬儀で塩が配られることがあるのは、神道の考え方が日本の生活慣習として深く根付いているためと言えるでしょう。

清め塩の正しい使い方・まき方【タイミング・場所・手順】

葬儀や通夜の後に行うことがある「清めの塩」。その正しい使い方について、いつ、どこで、どのように行うのが一般的なのか、具体的な手順を解説します。ただし、これは神道の考え方に基づく慣習であり、地域や個人の考え方によって異なる場合がある点にご留意ください。

タイミング:いつ塩を使う?(通夜・葬儀からの帰宅時が基本)

清めの塩を使う最も一般的なタイミングは、通夜や葬儀・告別式から帰宅した際です。自宅に穢れ(けがれ)を持ち込まないように、家に入る直前に行います。

また、地域や葬儀の形式によっては、火葬場から戻り、葬儀式場に入る前に塩や水で手を清めることもあります。

場所:どこで塩を使う?(玄関に入る前)

塩で清める場所は、自宅の玄関に入る前です。具体的には、一軒家なら門や玄関ドアの前、マンションなど集合住宅なら自分の部屋の玄関ドアの前で行います。家の中に穢れを入れない、という考え方に基づきます。

手順:塩を体にまく順番(胸→背中→足元)と払い方

清め塩の具体的な手順は以下の通りですが、地域や宗派によって異なる場合があります。

  1. 塩をひとつまみ取る: まず、用意された清め塩を少量、指でつまみます。
  2. 体に塩をかける: 一般的には、胸元、背中、足元の順に塩を振りかけます。(血流に沿って穢れを祓うという意味合いがあるとも言われます。)背中にかけるのが難しい場合は、肩越しに振りかけるようにします。
  3. 塩を払い落とす: 体にかけた塩は、手でしっかりと払い落とします。塩に穢れが移っていると考えられるため、家の中に持ち込まないようにするためです。衣服についた塩も忘れないように払いましょう。
  4. 足元の塩を踏む: 最後に、足元に落ちた塩、あるいは撒かれた塩を踏んでから家の中に入ります。これで穢れを断ち切るとされています。

最近では、手順を簡略化して足元のみに塩をかけるという方法をとる人もいます。また、葬儀場によっては、出口に塩が敷かれていて踏んで出る形式の場合もあります。その場の案内に従いましょう。

誰が塩をまくか(家族がいれば頼む、いなければ自分で)

可能であれば、葬儀に参列しなかった家族に玄関先まで来てもらい、塩をかけてもらうのが丁寧な作法とされています。

しかし、一人暮らしの場合や家族全員で参列した場合など、頼める人がいない場合は、自分自身で塩を振りかけて問題ありません。その際も、胸元、肩越しに背中、足元という手順を意識するとよいでしょう。

葬式後の清め塩を忘れた場合の対処法

葬儀や通夜から帰宅した際、「うっかり清め塩を使うのを忘れて家に入ってしまった」「そもそも清め塩をもらい忘れた」ということもあるかもしれません。そのような時でも、慌てたり、過度に心配したりする必要はありません

必ずしも必須ではないことを理解する(宗教・宗派による)

まず知っておきたいのは、清め塩は絶対に行わなければならない儀式ではないということです。

繰り返しになりますが、塩で身体を清めるという習慣は主に神道の考え方に基づいています。「死は穢れである」と捉えない仏教、特に浄土真宗では、清め塩を用いることはむしろ故人に失礼にあたると考える場合もあり、基本的には不要とされています。

そのため、ご自身の信仰する宗教・宗派によっては、清め塩を使う必要がない、もしくは使わない方が良いケースもあります。「忘れたから罰が当たる」といった性質のものではありませんので、安心してください。

どうしても気になる時の対応(後からやり直しても良い)

とはいえ、昔からの慣習であったり、周りの人が行っていたりすると、「やはり清めないと気持ちが悪い」と感じる方もいるでしょう。どうしても気になる場合は、以下の方法を試してみてください。

  • 後からやり直す: もし家に入ってしまってから気づいた場合でも、一度玄関の外に出て、改めて塩で清めてから入り直せば問題ありません
  • 自身の気持ちを整理する: なぜ気になるのか、何に不安を感じるのかを考え、故人を敬う気持ちで手を合わせるなど、心が落ち着く方法を試してみるのも良いでしょう。儀式の形式よりも、ご自身の心の平穏が大切です。

最も重要なのは、ご自身が納得できるかどうかです。他人の意見に左右されず、ご自身の気持ちに従って判断しましょう。

塩がない場合の代用について(水で清めるなど)

手元に葬儀社などでもらった清め塩がない場合でも、他のもので代用することが可能です。

  • 自宅の食卓塩を使う: 海水100%で作られたものがより望ましいとされますが、一般的な食卓塩でも代用できます。ただし、葬儀社などが用意する小袋に入った「清め塩」は食用ではない場合が多いので、間違って料理などに使わないよう注意しましょう。
  • 水で清める: 玄関先で手や顔などを水で洗い清める方法もあります。これも古くから行われている清めの儀式の一つです。

清め塩がない場合でも、これらの方法で代用し、「これで清められた」とご自身が感じられれば十分です。

清め塩を使わない・まかない宗派やケース

葬儀後に使われることがある清め塩ですが、これは神道の「死=穢れ」という考え方に基づいた慣習です。そのため、すべての宗教や宗派で必ず行われるわけではありません。むしろ、近年では清め塩を使わないケースも増えています。

ここでは、清め塩を使わない代表的な宗派や宗教、そして個人の考え方について解説します。

浄土真宗で塩を用いない考え方(死を穢れとしない)

仏教の中でも、特に浄土真宗では、清め塩は基本的に用いません

その理由は、浄土真宗の死生観にあります。仏教、とりわけ浄土真宗では、死を「穢れ」とは捉えません。亡くなった方は阿弥陀如来の本願力によって速やかに極楽浄土へ往生する(生まれ変わる)と考えられています。

そのため、死を不浄なものとして塩で祓う必要がないのです。むしろ、故人を「穢れ」として扱うような清めの塩を用いることは、故人や仏様に対して失礼にあたると考える場合もあります。

こうした理由から、浄土真宗の葬儀では、会葬御礼の品に清め塩が含まれていないことが一般的です。

他の宗派や宗教(キリスト教など)の考え方

浄土真宗以外の仏教宗派においても、仏教の基本的な教えとして死を穢れとは考えません。そのため、神道のように積極的にお清めを行うことは少ないですが、地域の慣習などから清め塩が用いられることもありました。しかし、近年では仏教全体として清め塩を使わない方向性が見られます。

また、キリスト教においては、死は穢れではなく、神のもとへ召される祝福されるべきことと捉えるため、清め塩を用いる習慣は全くありません

このように、信仰する宗教や宗派によって、死に対する考え方や清め塩の扱いは大きく異なります。

個人の考えや地域の慣習を尊重する

最終的に清め塩を使うかどうかは、宗教・宗派の教義だけでなく、個人の考え故人を思う気持ち、そして地域の慣習によって判断されることが大切です。

昔からの風習が根強く残っている地域や、親族間で「行うのが当然」とされている場合もあるでしょう。一方で、故人の宗派に合わせて「使うべきではない」と判断することもあります。

葬儀で清め塩が配られたとしても、必ず使わなければならないという決まりはありません。ご自身の気持ちや状況、周囲との関係性を考慮し、納得できる方法を選ぶのが良いでしょう。逆に、塩が配られなかった場合でも、ご自身が清めを行いたいと感じるのであれば、自宅の塩(できれば海水塩)を使って行っても問題ありません。大切なのは、形式にとらわれすぎず、故人を敬う気持ちです。

清め塩に関するよくある質問(Q&A)

葬儀や通夜の後で使われる清め塩について、よくある疑問にお答えします。

清め塩はどこで手に入る?

清め塩は、多くの場合、葬儀や通夜の場で受け取ることができます。

具体的には、会葬御礼(返礼品)の品物や挨拶状などと一緒に小さな袋に入って渡されるのが一般的です。また、葬儀会場の出口付近に用意されており、参列者が自由に持ち帰れるようになっていることもあります。

もし手元にない場合でも、後述するように家にある食塩で代用することも可能です。

家の食卓塩で代用できる?成分の違いは?

葬儀などでもらった清め塩がない場合、家にある食卓塩で代用することは可能です。

本来、清め塩は神道の考えに基づき、海水から作られた自然塩(粗塩など)がより望ましいとされています。しかし、これは儀式的な意味合いが強く、一般的な食卓塩を使っても問題ありません。大切なのは、故人を偲び、自身の気持ちを清めるという行為そのものです。元の記事でも触れられているように、厳密なルールがあるわけではないため、ご自身の判断で構いません。

ただし、注意点として、葬儀社などが配布する清め塩には「食用ではありません」と明記されていることがほとんどです。これは、以下のような理由によります。

配布される清め塩が食用でない理由:

  • 香料が含まれている場合がある
  • 湿気で固まるのを防ぐ固結防止剤などが添加されている場合がある
  • 食用としての品質管理がされていない

そのため、配布された清め塩は口にしないようにしましょう。

余った清め塩はどう処分する?

使わなかったり、余ったりした清め塩の処分に迷うかもしれませんが、特別な作法は必要なく、通常のゴミとして処分して問題ありません

「神聖なものだから捨てにくい」「バチが当たるのでは?」と心配になるかもしれませんが、そのようなことはありませんのでご安心ください。

清め塩と盛り塩の違い

「清めの塩」と玄関先などによく置かれている「盛り塩」は、どちらも塩を使いますが、その由来と目的は異なります

それぞれの違い:

  • 清め塩:葬儀や通夜の後、神道の「死=穢れ」という考えに基づき、体や家を清める(穢れを祓う)ために使われます。
  • 盛り塩中国の故事に由来し、玄関や店先などに置くことで邪気を払い、運気を呼び込む(商売繁盛など)目的で使われます。

このように、清め塩は主に葬儀という非日常の場面で穢れを祓うためのもの、盛り塩は日常的に行われる厄除けや縁起担ぎといった意味合いが強いものです。

火葬後・納骨後の清めについて

清め塩は、主に通夜や葬儀・告別式から帰宅した際に使われることが多いですが、火葬後納骨後に清めを行うケースもあります。

現代では火葬が一般的であり、火葬の「炎」によって故人や場がすでに清められていると考えることから、火葬後に改めて塩で清める必要はないとする考え方もあります。

しかし、地域や家の慣習によっては、火葬場から葬儀式場などへ戻った際に、建物に入る前に塩で清めたり、納骨の儀式後に清めを行ったりする場合も見られます。

ただし、これまで述べてきたように、清め塩は主に外部からの穢れを祓うという意味合いがあるため、身内(遺族)の場合は、火葬後や納骨後であっても通常は清めの塩を使いません

最終的には、このタイミングでの清めも、故人を敬う気持ちと共に、ご自身の考えや地域のしきたりに従うのがよいでしょう。

まとめ

この記事では、葬式後の清め塩について解説しました。最後に要点をまとめます。

清め塩に関するポイント:

  • 由来: 神道の「死=穢れ」という考えに基づき、塩で穢れを祓うためのもの。
  • 宗派による違い: 仏教では死を穢れと捉えず(特に浄土真宗は明確に否定)、清め塩は不要とされることが多い。
  • 身内の場合: 故人を見送る立場であり、外部の穢れを祓う必要がないため、基本的に使わない
  • 使い方: 使う場合は、玄関に入る前に、胸→背中→足元の順に塩をかけ、最後に足元の塩を払う(または踏む)。
  • 必須ではない: 忘れたり、使わなかったりしても問題はない
  • 代用: 食卓塩で代用可能だが、葬儀社などが配る塩は食用ではない場合があるので注意。
  • 大切なこと: 形式だけでなく、故人を敬い、自身の気持ちを整えることを大切にし、個人の考えや地域の慣習を尊重する。

葬儀に関する慣習は多様です。清め塩を使うかどうかも含め、ご自身の状況に合わせて判断してください。

お清めの塩非食品
お清めの塩と手洗い用の水
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次